2011年の東日本大震災以来、日本の天災への意識は高まってきた感があります。
もちろん日本の国土は、地理的に天災の多くなっていて歴史的にも地震や台風で大きな被害を受けて来ています。
近いところでは、阪神・淡路大震災や熊本の地震が被害が大きかったと記憶していますが、お住いの地域が違えば大雨や洪水の被害など記憶に残る事例は異なってくるでしょう。
そんな中、やはり東日本大震災では自然の脅威を日本全体が改めて感じる結果になったと言えますよね。
自然のことなので天災を防ぐことやなくすことはできませんので、我々にできることはいつ起こってもおかしくないので対策や備えを怠らないこと。
そのために毎年9月1日は「防災の日」と制定され、8月30日〜9月5日は防災週間としてされています。
【防災の日】由来は?
防災の日は関東大震災の日だった
「防災の日」は、1960年(昭和35年)に、内閣の閣議了解により制定された。9月1日の日付は、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものである。また、例年8月31日 – 9月1日付近は、台風の襲来が多いとされる二百十日にあたり、「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められている。制定前年の1959年(昭和34年)9月下旬には、9月26日に上陸した伊勢湾台風が史上まれにみる被害をもたらした。
一方では、台風シーズンに制定されたことにより、台風や前線による大雨によって防災訓練が中止になる事例も発生している。「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は、関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心であった。しかし、「防災の日」が制定されてからは、全国各地で防災訓練が行われる日となっている。
なお、1982年(昭和57年)5月11日の閣議了解で、この「『防災の日』の創設について」の閣議了解は廃止され、改めて「防災の日」及び「防災週間」が設けられた[2]。
(出典:Wikipediaより)
このように、関東大震災が発生した日が「防災の日」として決められたんですね。
東日本大震災が発生するまでは、この関東大震災が近代日本で一番被害の大きかった災害だったそうです。特に首都を襲う災害ですし、今と比べて科学も発達していませんから東日本大震災以上のすごい混乱があったと思われます。
関東大震災
神奈川県および東京府(現・東京都)を中心に隣接する茨城県・千葉県から静岡県東部までの内陸と沿岸に及ぶ広い範囲に甚大な被害をもたらした。
大震災と呼ばれる災害では死因に特徴があり、本災では焼死が多く、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では圧死、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では溺死が多い[6]。本災において焼死が多かったのは、日本海沿岸を北上する台風に吹き込む強風が関東地方に吹き込み[7](風害参照)、木造住宅が密集していた当時の東京市(東京15区)等で、火災が広範囲に発生したためである。
この災害は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災以前の日本において、史上最大級の被害をもたらした。府県をまたいだ広範囲に渡る災害で未曽有の犠牲者・被災者が発生し、帝都を直撃して国難に及ぶことから、国(大日本帝国)も対応に追われた。しかし、内閣総理大臣の加藤友三郎が震災発生8日前の8月24日に急死していたため外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣を臨時兼任して職務執行内閣を続け、発災翌日の9月2日に山本権兵衛が新総理に就任(大命降下は8月28日)、9月27日に帝都復興院(総裁:内務大臣の後藤新平が兼務)を設置し復興事業に取り組んだ。
金融の停滞で震災手形が発生し、緊急勅令によるモラトリアムを与えた。復興には相当額の外債が注入されたが、その半分は、火力発電の導入期にあった電力事業に費やされた[注釈 3]。モルガン商会は1931年(昭和6年)までに占めて10億円を超える震災善後処理公債を引き受けたが、その額は当時の日本の年度別の国家予算の6割を超えるものだった[8]。引受にはロスチャイルドも参加した[9]。金策には森賢吾が極秘で奔走した。
日英同盟の頃から政府は資金繰りに苦慮していたが、特にこの復興事業は国債・社債両面での対外債務を急増させた。また震災不況から昭和金融恐慌(1927年(昭和2年)3月~)、1930年(昭和5年)行われた金解禁[10]はそして世界恐慌(昭和恐慌)に至る厳しい経済環境下で悪影響が大きかったため、翌年には金輸出(再)禁止[11]になった。
なおこの震災により東京市から郊外に移り住む者も多く、「天災によるドーナツ化現象」が発生した(参照)。40年近く後の高度経済成長期に三大都市圏の中心となる大阪府や愛知県等に移住する者も多くみられ、特に大阪市は東京市を超え、世界第6位の人口を擁する都市に躍進した。阪神間では阪神間モダニズム後期の大大阪時代を迎え、六大都市の序列に影響を与えた。また東京市電の機能不全を肩代わりさせるため東京市がT型フォードを約800台輸入してバス事業を開始[12][13](円太郎バス)。すると、全国にバス事業が広まるとともに、輸入トラックを利用した貨物輸送も始まって、旅客および物流におけるモータリゼーションが到来した[13]。電話の自動交換機も普及した[14]。
(出典:Wikipediaより)
筆者は、今まで知らなかったんですが関東大震災の時、総理大臣が暫定で翌日から山本内閣が組閣されてるんですね。金融関連での動きはいろいろあったようですが、当時の経済状況や通信機能を考えると迅速な行動が取られたんだろうなと感じます。
そう考えると、東日本大震災の時って・・・・って感じますよね。。
あとは、関東大震災を機に大阪や名古屋へ移住する人が多かったこと。
”大大阪(だいおおさか)”と呼ばれた時代があったことは知っていましたが、関東大震災がきっかけとは存じ上げませんでしたよ。この時に、御堂筋が作られて今に至るんですから、歴史は繋がってるいるんですね。
この時代は、産業革命を受けて世界的に工業が発展していく過程だったので、発展のキッカケになったという見方もできますね。
【防災の日】自宅での備蓄品は?
調べれば、アレコレと備えておくものリストは存在すると思いますが、実際に全部揃えるかということと、いざという時に持ち出せる状態かということを考えておく必要がありますよね。あっちの店が安いこっちの店が安いと回っていても、いざという時に活躍しないと何の意味もないです。
そして、備えておいてもいざという時に低スペックだったら悲しくて仕方ないですよ。
後悔しかしないと思います。
そう考えるともともとセットになった物で、”使える”ものを備えておきたい。
ボーイスカウトでは、「備えよ常に」というスローガンがあります。
探してみると、東日本大震災に被災された方の経験を活かした避難リュクがありました。
助かりますよね。こういうのがあると。
もし、どんな物が必要なのかな?と思っても、参考になるので大変ありがたいですよね。
まとめ
いかがでしたか?
「防災の日」と関東大震災について調べてみると、歴史の勉強になりました。
その過程で、関東大震災の時のフランスの駐日大使の書簡でこのように残しています。
なんか嬉しくなりますよね。
被災者たちを収容する巨大な野営地で暮らした数日間・・・、私は不平の声ひとつ耳にしなかった。唐突な動きや人を傷つける感情の爆発で周りの人を煩わせたり迷惑をかけたりしてはならないのだ。同じ小舟に乗り合わせたように人々は皆じっと静かにしているようだった。 — ポール・クローデル、『孤独な帝国 日本の1920年代―ポール・クローデル外交書簡1921‐27』
(出典:Wikipediaより)