京都三大祭のひとつとなる葵祭では、毎年ヒロインとなる「斎王代」が選ばれます。
斎王代は、十二単をまとい、葵祭の目玉とも言える行列の巡業に参加し、注目の的になるんですよ。
斎王代のあまりの美しさを一目見るために、京都葵祭を訪れる人はこの巡業を誰もが楽しみにしています。
そんな「斎王代」には、いったいどのようにすると選ばれるのでしょうか?
ここでは「斎王代」の選び方と支度金、また、お歯黒を行う意味について解説します。
斎王代の選び方は?
斎王代とは
葵祭と言えば「斎王代」が主役とも言えます。
この斎王代は、誰でも簡単になれるものではありません。
そもそも「斎王」とは、平安時代に神様に奉仕を行った未婚の内親王や女王を指します。
この斎王の役職は、伊勢神宮をはじめとし、賀茂神社において風習として残り、祭祀を行ってきたと言われています。
そのため、日本の古き時代から、斎王には未婚の皇女が選出される決まりとなっていたというわけです。
斎王の代理という意味で「斎王代」と呼ばれ、斎王代の選出が始まったのは昭和31年からです。
「斎王代」は、皇女ではなく一般市民の中でも独身女性が選ばれるようになり、毎年京都人にとっては誰が選ばれるのか注目されています。
斎王代の選び方
斎王代と言っても、もともと斎王の役職は皇女のみとされており、一般市民の女性が斎王代に選出されるとしても、実は一般公募ではないのです。
これは、京都においてゆかりのある寺社や文化人、実業家など、高貴な家柄に生まれた20代の令嬢が選出されることになっているのです。
そのため、母と娘が同じ家柄の中から選ばれることも少なくありません。
中には美人姉妹などと騒がれ、姉妹揃って選ばれることもあるようです。
つまり、京都の由緒正しく高貴な家柄に生まれたご令嬢だけが斎王代になれるという決まりがあることが分かります。
まとめると、斎王代になるためには、このような条件となります。
・礼儀作法を熟知している女性
・京都出身の20代独身女性で由緒ある家柄の人
・長時間正座ができる、また着物を着る習慣のある女性
さらに、この選出方法となるには理由があります。
この後は、斎王代に選ばれる女性が由緒正しく高貴な家柄の方のみとなる理由をみていきましょう。
斎王代の支度金はいくら?
斎王代に選ばれるには、あらかじめ条件が決まっていて選出されることがわかりました。
しかしながら、その条件の前提となっているポイントとして「支度金」というものがあります。
いったいどれぐらいの支度金が必要とされるのか調べてみました。
支度金はいくら?
「斎王代」に選ばれると、実に2,000万円もの支度金を準備する必要があります。
そのため、支度金を準備できる家柄の女性しか選出されることはありません。
それほど高額な支度金を準備することができる家柄の女性となれば、一般市民には難しいことが想像できますよね。
「斎王代」の候補になる女性は、京都の名家・寺院・お医者様など家柄に生まれたご令嬢に限られてくるというわけです。
ここまでお分かりいただけましたか?
京都葵祭での斎王代の候補選定の条件はわかっていても、実際の選考方法は非公開となっています。
まずは条件をクリアできる女性だけが、土俵の上に登ることができるということが分かりましたね。
支度金の内訳は?
斎王代に選出されたあかつきには、2,000万円という支度金の準備が必要となりますが、実際にその2,000万円はどのような費用に充てられるのでしょうか?
気になりますよね。
ここからは、斎王代になるために必要となる支度金の内訳をみていきましょう。
・衣装のクリーニング代
・巡業などを行うための費用
・葵祭の関係者に対して食事を振る舞うなど寄付金
とされており、これらに2,000万円もの費用がかかるそうです。
葵祭で巡業を行う際にこれほど高額な費用が斎王代に必要となるとは想像以上でしたね。
このようなことから一般市民が、まず選出されるということはないということが理解できますよね。
斎王代のお歯黒の意味は?
斎王代はお歯黒をしていることをご存知ですか?
実際、「お歯黒」という言葉を聞いたことはあっても、なぜそれを行うのかその理由を知らないという方は多いのではないでしょうか?
ここからは、斎王代がお歯黒をする意味についてみていきましょう。
斎王代のお歯黒は貴族の証拠
お歯黒の歴史は古く、時代によってその意味づけが変遷しています。
京都葵祭は、先述の通り平安時代から始まり「斎王(未婚の内親王や女王)」が執り行う行事の1つとなっていました。
平安時代におけるお歯黒の意味は、皇族や上級貴族をはじめとする位の高い身分の人が、元服など一定の成長時期を過ぎた時から行われるものでした。
このことから、後年に見られるように既婚・未婚の基準ではなく、斎王が皇族や上級貴族の証であり、行列に参加する女性たちがお歯黒をしていないことで区別できます。
この慣習が、「斎王代」となった現代でも踏襲されているというわけです。
お歯黒は古墳時代からすでに始まっていた
お歯黒自体はは平安時代よりさらに古く、古墳時代から始まっていたと伝えられています。
それが平安時代になると貴族たちがお歯黒を行い、その後、室町時代や戦国時代には10歳よりも若い年齢の女性がお歯黒をするようになりました。
これは、戦国時代に政略結婚のために若年のうちに嫁ぐことから、このようなお歯黒がなされるようになったそうです。
一方で戦国武将は自身の見栄えを良くするという意味で男性でもお歯黒を行っていたようです。
そもそものお歯黒の目的として、歯並びや虫歯・歯の変色などを隠す美容目的と、口臭や歯周病・虫歯の予防という健康面でも目的が主だったものでした。
現代でも、意外と知られていませんが歯の健康は人体に大きな影響を与えるので、昔の人たちもその重要性を感じ取っていたんでしょうね。
お歯黒は明治時代で終了となる
お歯黒は、日本が明治時代になると、明治天皇によって「お歯黒禁止令」が施行されてからは見られなくなりました。
つまり、明治時代をもってお歯黒は終了したことになります。
(一部地域では、昭和初期まで風習として残っていたようです)
これまで、未婚者か既婚者かをお歯黒で見分けていた時代からは一転し、その歴史も移り変わりを見せ、現代においては京都で行われる葵祭で斎王代の姿が見られます。
(作家:谷崎潤一郎は、お歯黒の妖艶な美しさを強調する作品も残しています)
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そのため、これまで日本の歴史上でお歯黒を行っていたという時代は、他国ではない風習のため、なかなか見られないということが分かります。
また、昔から言い伝えのある通り、お歯黒をした斎王代は現代においてもとても美しく煌びやかな女性であると言えますね。
まとめ
いかがでしたか?
「斎王代」の選び方と支度金、また、お歯黒を行う意味について解説しました。
京都の三大祭のひとつとなる葵祭は、日本の歴史的なお祭りでもあり、斎王代が主役であったようですね。
あまりに支度金が高額すぎて驚いた!という方も多いでしょう。
これほど高額費用が準備できる家柄や、奥ゆかしい由緒ある家柄の女性、また、日常的に着物を着用するような週間のある女性だけが「斎王代」に選ばれるのですね。
斎王代はなぜなれるの?と疑問に思っていた私たちからすると、謎が解けましたね。
なかなか一般市民には難しい話です。
しかしながら、そんな伝統的な葵祭は、巡業を見物するのもきっと楽しめますよ!
ぜひ、5月15日に開催される京都葵祭へ足を運んでみませんか?